こんにちは、セロリです🌱
最近、漫画家 西原理恵子先生の記事を目にしました。
「毎日かあさん」など子育て漫画の題材となった娘さんが、ブログで「ネタにされたくなかった」と公表し問題になったようですね。12歳のときに整形手術までさせられたというので、穏やかではありません。
この記事を読んで、
整形については言語道断ですが、
その前にまず子供のことを「ブログネタ」にしていいのか?という疑問を抱いた方は少なくないのではないでしょうか。
かくゆうワタクシも脛に傷持つ身ですから「大丈夫かな?」と思った一人で、さっそく息子に
「あなたのこと書いてるけど、だいじょうぶ?」と聞きました。
うちの場合は、記事をアップする前に息子に読み聞かせしていて、息子のOKが出て初めて記事になります。
これまで息子から待ったがかかったことはありませんけれど、念のためのプロセスです。
私がブログを続けることに関して息子は「全然だいじょーぶ」と楽観的に答えてくれていますが、
後になって後悔することもないとは言えませんから、注意したいところですよね。
ところで、
この件で私が真っ先に思い出したのが、作家 佐藤愛子先生です。
私は佐藤愛子先生が大好きで、中学生ぐらいのときからさまざまな作品を読ませていただきました。
特に大好きだったのが、娘の響子さんを題材にしたエッセイです。
先生は元夫の借金を背負い、執筆や公演活動に忙しくしながら娘の響子さんを育てておられ、エッセイの中ではその娘さんとの間のエピソードを披露されています。
集英社のNONNOに連載されていましたが、私が読んだのは単行本になってから。『娘と私の部屋』や『娘と私の時間』は擦り切れるほど読み、アメリカにも持ってきたほどです。
これらの作品は、娘さんを題材にと言いながらも、実際は佐藤先生の強烈なキャラクターが際立つ作品でした。
先生の潔さや情け深さ、ユーモアも感じ取れて、読んでいて実に清々しい気持ちになれたのです。娘さんがネタになっているのに不思議です。
そしてお二人がまるで目の前にいるような、お茶の間に私も一緒にいる気持ちにさせてくれました。
その頃の私は鍵っ子のようなもので、家に帰っても誰もいない生活でしたから、
ページを捲るだけで温かい家庭の一部になった気持ちになれたのは、ありがたいことでした。ひとりぼっちの気がしなかった。親近感を抱いていたんですよね。
きっと初めて響子さんにお会いしても、顔見知りのような気持ちになるに違いありません。
とはいえ、
響子さんにとってはネタになるのは嬉しいものではなかったようです。
佐藤先生のエッセイを読み返してみると、響子さんが「やめてもらえないかな?」とお願いしたこともネタになってました。
いろいろ迷惑を被っていたんでしょうね。想像に難くありません。
これに対し佐藤先生はいとも簡単に
「そうか、じゃあ、やめましょ」と言ってました。
それで、さっそくNONNOの編集者にその旨お話ししていましたよ。
(その後、編集者の方の努力で続けることになりましたが)
それと、
時々、響子さんにお小遣いもあげていたようですよ。
ネタ代というのか、お駄賃というのかわかりませんけど、
私は、こういうところが、すごく普通の、血の通った人間らしさを感じるんですよね。
身近に感じたのは、こういう部分なのかもしれませんねぇ。
冒頭の西原先生の方は、進学費用が工面できず困っていた娘さんに、
「自分がネタになっているからといってお金を要求するな。そのようなアドバイスをする大人とも縁を切れ」みたいなことをいったようですが、
これは(100歩譲って)正論なのかもしれませんけど、
親子関係にガチガチの正論ルールを当てはめるってどうなのかな?と。
正論の中に例外が生じてしまうのが親子関係の妙味で、
親子だからこそ、
「しょうがないなぁ〜」と便宜を図ってあげられるわけで、
そんな経験があるからこそ愛が感じられて、築かれる信頼関係もあるんじゃないかなと。
なんでもかんでも厳しくすればいいとは思えないんですよ。
柔軟なかかわり方が大切なんじゃないかなということが言いたいのです。
今回の西原先生の件は本当のところが分かっていないので、私も確固たる持論があるというわけではありませんが、
一つだけわかったのは、
親子間の『信頼』ってホント、大事だな〜ということです。
佐藤先生の娘さんは不満を持っていたとしても、先生に対する『信頼』がエッセイから滲み出ていました。
お母さんが大好きだってこともね。
大好きなお母さんは、自分に悪いことはしないという確かな信頼が、”安心感”につながっていたのかなと思います。
なんだかとりとめもない記事になってしまいごめんなさい。
ただ、色々考えさせられたんですよね。
西原先生の作品は私も大好きでしたから。
元気付けられることも沢山ありました。
母子の間のもつれた糸が解き解かれるのを願わずにはいられません。
🤖おまけ🤖
ご近所さんに猫のお世話を頼まれました。犬と違って猫は一人(一匹か)でお留守番できると言われますが、ほんとかな?と思うぐらい、人恋しそうに懐いてきます。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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「毎日かあさん」など子育て漫画の題材となった娘さんが、ブログで「ネタにされたくなかった」と公表し問題になったようですね。12歳のときに整形手術までさせられたというので、穏やかではありません。
この記事を読んで、
整形については言語道断ですが、
その前にまず子供のことを「ブログネタ」にしていいのか?という疑問を抱いた方は少なくないのではないでしょうか。
かくゆうワタクシも脛に傷持つ身ですから「大丈夫かな?」と思った一人で、さっそく息子に
「あなたのこと書いてるけど、だいじょうぶ?」と聞きました。
うちの場合は、記事をアップする前に息子に読み聞かせしていて、息子のOKが出て初めて記事になります。
これまで息子から待ったがかかったことはありませんけれど、念のためのプロセスです。
私がブログを続けることに関して息子は「全然だいじょーぶ」と楽観的に答えてくれていますが、
後になって後悔することもないとは言えませんから、注意したいところですよね。
ところで、
この件で私が真っ先に思い出したのが、作家 佐藤愛子先生です。
私は佐藤愛子先生が大好きで、中学生ぐらいのときからさまざまな作品を読ませていただきました。
特に大好きだったのが、娘の響子さんを題材にしたエッセイです。
先生は元夫の借金を背負い、執筆や公演活動に忙しくしながら娘の響子さんを育てておられ、エッセイの中ではその娘さんとの間のエピソードを披露されています。
集英社のNONNOに連載されていましたが、私が読んだのは単行本になってから。『娘と私の部屋』や『娘と私の時間』は擦り切れるほど読み、アメリカにも持ってきたほどです。
これらの作品は、娘さんを題材にと言いながらも、実際は佐藤先生の強烈なキャラクターが際立つ作品でした。
先生の潔さや情け深さ、ユーモアも感じ取れて、読んでいて実に清々しい気持ちになれたのです。娘さんがネタになっているのに不思議です。
そしてお二人がまるで目の前にいるような、お茶の間に私も一緒にいる気持ちにさせてくれました。
その頃の私は鍵っ子のようなもので、家に帰っても誰もいない生活でしたから、
ページを捲るだけで温かい家庭の一部になった気持ちになれたのは、ありがたいことでした。ひとりぼっちの気がしなかった。親近感を抱いていたんですよね。
きっと初めて響子さんにお会いしても、顔見知りのような気持ちになるに違いありません。
とはいえ、
響子さんにとってはネタになるのは嬉しいものではなかったようです。
佐藤先生のエッセイを読み返してみると、響子さんが「やめてもらえないかな?」とお願いしたこともネタになってました。
いろいろ迷惑を被っていたんでしょうね。想像に難くありません。
これに対し佐藤先生はいとも簡単に
「そうか、じゃあ、やめましょ」と言ってました。
それで、さっそくNONNOの編集者にその旨お話ししていましたよ。
(その後、編集者の方の努力で続けることになりましたが)
それと、
時々、響子さんにお小遣いもあげていたようですよ。
ネタ代というのか、お駄賃というのかわかりませんけど、
私は、こういうところが、すごく普通の、血の通った人間らしさを感じるんですよね。
身近に感じたのは、こういう部分なのかもしれませんねぇ。
冒頭の西原先生の方は、進学費用が工面できず困っていた娘さんに、
「自分がネタになっているからといってお金を要求するな。そのようなアドバイスをする大人とも縁を切れ」みたいなことをいったようですが、
これは(100歩譲って)正論なのかもしれませんけど、
親子関係にガチガチの正論ルールを当てはめるってどうなのかな?と。
正論の中に例外が生じてしまうのが親子関係の妙味で、
親子だからこそ、
「しょうがないなぁ〜」と便宜を図ってあげられるわけで、
そんな経験があるからこそ愛が感じられて、築かれる信頼関係もあるんじゃないかなと。
なんでもかんでも厳しくすればいいとは思えないんですよ。
柔軟なかかわり方が大切なんじゃないかなということが言いたいのです。
今回の西原先生の件は本当のところが分かっていないので、私も確固たる持論があるというわけではありませんが、
一つだけわかったのは、
親子間の『信頼』ってホント、大事だな〜ということです。
佐藤先生の娘さんは不満を持っていたとしても、先生に対する『信頼』がエッセイから滲み出ていました。
お母さんが大好きだってこともね。
大好きなお母さんは、自分に悪いことはしないという確かな信頼が、”安心感”につながっていたのかなと思います。
なんだかとりとめもない記事になってしまいごめんなさい。
ただ、色々考えさせられたんですよね。
西原先生の作品は私も大好きでしたから。
元気付けられることも沢山ありました。
母子の間のもつれた糸が解き解かれるのを願わずにはいられません。
🤖おまけ🤖
ご近所さんに猫のお世話を頼まれました。犬と違って猫は一人(一匹か)でお留守番できると言われますが、ほんとかな?と思うぐらい、人恋しそうに懐いてきます。
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