こんにちは、セロリです。
どきどき私は、知能検査が過剰評価されているように感じることがあります。
数字には不思議なパワーがあり、説得力があるような気がするものです。
いつしか数字が一人歩きしてしまうこともあり、それが絶対的評価のように感じることもあるのではないでしょうか。
以前このブログで、ギフテッドはIQだけではなく質的特性を見ていく必要があるという考えをご紹介しましたが、
私も同感で、質的特性を合わせてみることがとても大事だと思います。学習スタイルの違い(Learning Differences)に関しても同じことが言えるかもしれません。
知能検査というのは、そこまで絶対的な検査ではありません。
理由はいろいろあるのですが、今日は研究的観点(?)から見てそう考える理由をお話しさせてくださいね。
かなり昔の話になるのですが、
ラットなどの小動物を使って実験に明け暮れていた日々がありました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、実験というのは条件を揃えた上で行わなければなりません。
中でも動物を使った実験は大変気を使います。
実験動物たちは安定した飼育環境の元、動物施設で大切に育てられているのですが、
ロット番号(家系)や週齢、体重、餌、飼育環境(室温湿度など)、実験時のコンディションも極力揃えなければなりません。
条件を揃える理由は、実験結果の信頼性を担保するためです。
信頼に足るFindingsを得るためには、ノイズを極力除いた上でデータを取らなければならないのです。
それでもまだ個体差によるバラツキは出てきます。だから同じ実験を繰り返す必要があるのですね。
そうして得られた信頼できる所見を元に、やっとデータが考察できるようになります。
それでは、
知能検査(IQテスト)はどうでしょう?
知能検査はそもそも人間の知能の個人差を研究する目的があったわけですが、これはつまり研究対象がヒトという動物だということです。
もちろん実験の性質は違います。
知能検査の目的は対象者の理解力や知識、問題解決などの認知能力を測るためであり、
上記のようなFindingsを得るための実験ではありませんが、
それでも結果の信頼性のためには揃えておきたい条件があるはずです。
でもヒトを対象とする場合、なかなかそうもいきません。ここが問題です。
まず、
知能検査の結果は標準化されたサンプルデータとの比較として表されます。子供との月齢差が4ヶ月以内に収まる数千人ものサンプルからNormが作成され、そのNormに基づいて子供のスコアを比較した数値がIQなのですが、
既にこのサンプルグループにある程度ノイズが入っていると考えられます。ヒトを同じ施設に押し込めて同条件で飼育するなんてできないからです。
もちろん数千人ものデータを取っているのでノイズの影響は小さくなっています。ですから、それほど気にする必要はないかもしれませんが、一応そういうこともありうるということです。
むしろ、もっとずっと問題なのは、検査を受ける子供たち側です。
呆れるぐらい雑多な条件(状況)を持っています。
ピュアな知能を測りたいのに、彼らときたらですよ、
簡単過ぎてやる気が起きなかったり、
練習して(させられて)きちゃったり、
体調が悪かったり、
兄姉がいてたまたま2つ3つ余分に言葉を知っていたり、
熱心な(または過干渉な)ご両親に育てられていたり、
臨床心理士さんとの相性が合わなかったり(怖そうで嫌だったとか) などなど、
データにノイズ入りまくりです。
つまり研究的観点から考えると、
知能検査の結果は、子供たちのピュアな能力を表す絶対的な数値とは言い難いのです。
ただ、一つ言えるのは、
知能検査には長い歴史や膨大なデータの積み重ねがあり、データ量が半端ないぐらい多いということです。これは無視できません。
膨大なデータから浮かび上がるトレンド(傾向)があり、子供の数値と比較してFindingsを得ることは十分可能です。知能検査の結果は信頼に足る参考データなのです。
子供の特性や課題を知るための、大事な手がかりになることは間違いありません。
ただ、しつこいようですが、
出てきた数字は絶対的なものではないため、惑わされる必要もないと考えます。
数字に一喜一憂するのではなく、
まずは目の前の子供をしっかり見て、
歩調を合わせながら、
結果を支援に生かしていくことが大事ではないでしょうか。
🤖おまけ🤖
春休みどこにも旅行に出かけないので、気分転換にコリアンレストランに行ってきました。大好きな石焼きビビンバは写真を撮る前に混ぜられてしまいました😅奥の方の小皿料理はメインを頼むとサービスでついてきます♫
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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どきどき私は、知能検査が過剰評価されているように感じることがあります。
数字には不思議なパワーがあり、説得力があるような気がするものです。
いつしか数字が一人歩きしてしまうこともあり、それが絶対的評価のように感じることもあるのではないでしょうか。
以前このブログで、ギフテッドはIQだけではなく質的特性を見ていく必要があるという考えをご紹介しましたが、
私も同感で、質的特性を合わせてみることがとても大事だと思います。学習スタイルの違い(Learning Differences)に関しても同じことが言えるかもしれません。
知能検査というのは、そこまで絶対的な検査ではありません。
理由はいろいろあるのですが、今日は研究的観点(?)から見てそう考える理由をお話しさせてくださいね。
かなり昔の話になるのですが、
ラットなどの小動物を使って実験に明け暮れていた日々がありました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、実験というのは条件を揃えた上で行わなければなりません。
中でも動物を使った実験は大変気を使います。
実験動物たちは安定した飼育環境の元、動物施設で大切に育てられているのですが、
ロット番号(家系)や週齢、体重、餌、飼育環境(室温湿度など)、実験時のコンディションも極力揃えなければなりません。
条件を揃える理由は、実験結果の信頼性を担保するためです。
信頼に足るFindingsを得るためには、ノイズを極力除いた上でデータを取らなければならないのです。
それでもまだ個体差によるバラツキは出てきます。だから同じ実験を繰り返す必要があるのですね。
そうして得られた信頼できる所見を元に、やっとデータが考察できるようになります。
それでは、
知能検査(IQテスト)はどうでしょう?
知能検査はそもそも人間の知能の個人差を研究する目的があったわけですが、これはつまり研究対象がヒトという動物だということです。
もちろん実験の性質は違います。
知能検査の目的は対象者の理解力や知識、問題解決などの認知能力を測るためであり、
上記のようなFindingsを得るための実験ではありませんが、
それでも結果の信頼性のためには揃えておきたい条件があるはずです。
でもヒトを対象とする場合、なかなかそうもいきません。ここが問題です。
まず、
知能検査の結果は標準化されたサンプルデータとの比較として表されます。子供との月齢差が4ヶ月以内に収まる数千人ものサンプルからNormが作成され、そのNormに基づいて子供のスコアを比較した数値がIQなのですが、
既にこのサンプルグループにある程度ノイズが入っていると考えられます。ヒトを同じ施設に押し込めて同条件で飼育するなんてできないからです。
もちろん数千人ものデータを取っているのでノイズの影響は小さくなっています。ですから、それほど気にする必要はないかもしれませんが、一応そういうこともありうるということです。
むしろ、もっとずっと問題なのは、検査を受ける子供たち側です。
呆れるぐらい雑多な条件(状況)を持っています。
ピュアな知能を測りたいのに、彼らときたらですよ、
簡単過ぎてやる気が起きなかったり、
練習して(させられて)きちゃったり、
体調が悪かったり、
兄姉がいてたまたま2つ3つ余分に言葉を知っていたり、
熱心な(または過干渉な)ご両親に育てられていたり、
臨床心理士さんとの相性が合わなかったり(怖そうで嫌だったとか) などなど、
データにノイズ入りまくりです。
つまり研究的観点から考えると、
知能検査の結果は、子供たちのピュアな能力を表す絶対的な数値とは言い難いのです。
ただ、一つ言えるのは、
知能検査には長い歴史や膨大なデータの積み重ねがあり、データ量が半端ないぐらい多いということです。これは無視できません。
膨大なデータから浮かび上がるトレンド(傾向)があり、子供の数値と比較してFindingsを得ることは十分可能です。知能検査の結果は信頼に足る参考データなのです。
子供の特性や課題を知るための、大事な手がかりになることは間違いありません。
ただ、しつこいようですが、
出てきた数字は絶対的なものではないため、惑わされる必要もないと考えます。
数字に一喜一憂するのではなく、
まずは目の前の子供をしっかり見て、
歩調を合わせながら、
結果を支援に生かしていくことが大事ではないでしょうか。
🤖おまけ🤖
春休みどこにも旅行に出かけないので、気分転換にコリアンレストランに行ってきました。大好きな石焼きビビンバは写真を撮る前に混ぜられてしまいました😅奥の方の小皿料理はメインを頼むとサービスでついてきます♫
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